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ネパール大地震支援活動報告会

ども、ヤマキです。

さて、去る4月25日ネパールにおいてM8クラスの大地震が発生し、
甚大なる被害が発生したことはまだ皆さんの記憶にも新しいことかと思います。

 

これまでの日本における自然災害においてもその被害の大きさは言うまでもなく、
僕も東北大地震、台風12号三重県南部和歌山水害、広島水害、白馬地震と各地において
現地での支援活動をさせていただくことで、災害復旧についていろいろと勉強させていただきました。

で、ネパールにはさすがに赴いて何かしらの支援作業というのは実際問題、困難なことですが
白馬地震復旧作業の際に一緒に作業させていただいた「助さん」という方がおられまして、
その方がネパールへ行って復旧支援活動をされておりました。
(助さんのブログは右側ブックマーク内の「OPEN JAPAN」さんをクリックしてください)

 

実際現地に行けない僕ですが、知っている仲間が行ってくれてますし彼を支援することで
僕の気持ちがネパールに届くことはとてもありがたいことです。
そんな助さんが先日一旦帰国され、報告会が開催されるとのことで行ってきました。

 

会場は、黒さんのホームベース「日本財団」さんにて。

 

会場の準備最中。
ちょっとした同窓会的な雰囲気に心も安らぎます。

 

恒例の赤福贈呈。。。

 

助さんによる報告が始まりました。

 

黒さんによる補足説明なんかもありまして・・・

 

今回の主催者のスギさん。

休憩含めて2時間半ほどの報告会でしたが、あっという間に時間が過ぎた感じです。
皆さんもっと知りたい聞きたいことがある感じで質疑応答の時間は熱い熱い時間になりました。
それは皆さんの思いの現れなんだと肌を以て実感。

支援内容から見えること、いろんな切り口があるかと思います。看護面、生活面、精神面、、、
僕は仕事柄、やはり土木・機材に関することがいくつか気になり質問させていただきました。

 

あと気になったのは、やっぱりマスコミは本質を伝えてないなぁってこと。ま、いろんな地域があるんでしょうが、
テレビのニュースで見たような混乱などは今回の支援活動の中では見受けられませんでした。

 

物資も心配していたほど不足していない、むしろほぼほぼ潤っていそうなこと(ただ隅々まで届きにくい)
ボランティアが現地に支援に入っても、衣食住に関してはまあまあ不自由なく出来ること

などはちょっと驚きました。

 

気になったことは、現地の建物や地面の耐震性。

支援活動の大きな妨げになっているのはこれに尽きるように思いました(切り口を変えれば他にも沢山ですが)。

 

日本は神経質なほど耐震性はリッチ仕様ですが、現地のレンガ造り、ハリボデの様な簡素なモルタル造りは
崩壊している物もあれば持ち堪えたものの、今にも崩れ落ちそうな状態で残っていること。これが都市部においての
恐怖に繋がってまして、これからの様々な生活・活動における支障になると思います。

 

あと、雨季に入りつつあり悪天候も重なった道路事情。

山間部の集落へ物資を届けようにも、道路が土砂崩れや浸水によって機能を失い
たどり着けないこと。そして、重機があっても十分に生かされていない様子。

車両もトラックは様々なタイプのものがチャーターできるようでしたが、整備が粗悪で
タイヤの山もなく、ナットも所々しかはまっていない、年式も相当古く、故障したとしても
修理が間に合うのか不安が残る状態。

重機はイギリスメーカーのものが多かったです。小型トラックは殆ど日本車の平成初期の顔付きのもの。
ただ、日本出資の中国のメーカーのようなモデル。どういう経路で現地に輸入されてるのかわかりませんが、
これをフルに使ったとしても壊れたら直せないかな?
機材をフルに使える人材と、それらを後方支援できる態勢が整っていればインフラの復旧は確実に出来るかと・・・。

 

現地の雨季は凄いらしいです。いくつかの山間部の集落は切り立った斜面を切り盛りして平地を作ったような
集落も多々あり、今回の地震と大雨でその集落ごと地滑りを起こす恐れもあるとのこと。

 

そして何より、ヤマキも寄付しましたが、支援金が160万円以上集まり、それらは食料などに姿を変え
無事助さん達の手で現地へ直接届けられそして喜ばれたとの説明を以て、報告会は盛況の元、終了いたしました。

 

最後に参加者の方々と(僕の向かって左の方、ボンさん。いつの間にそんな恐い顔に?(笑))

 

あと、報告会が終了してから有志がまた集まりまして、今後の支援方法についていろいろと話し合いました。

プロジェクト名付けて「カンドマカンド」。日本語で「肩と肩」と言う事らしいですが、自分の右肩と左肩は力を合わせることは出来ないですが
もう1人の肩と合わせれば重い物も一緒に持ち上げられる、という想いが詰まった言葉だそうです。

 

今回の支援活動を踏まえて、新たなるボランティアニーズが見えてきたとのことで再度、彼らはネパールへ向かうとのことです。

 

そして我々は彼らを後方支援することで繋がっていこうと言うことを確認しました。

 

「PRAY FOR NEPAL」

綴りが違うけど気にしない!(笑)


僕(山紀建設)としても、この活動を支援していきますが、この活動に興味ある方はお声掛けください。
皆さんの思いを直接ネパールへ届けさせていただきます。

 

こぼれ話・・・。

ちらっと冒頭にも書きましたが、広島水害や白馬地震における災害復旧作業で知り合った仲間達ですが
現場以外でお会いするのは意外にも初めてでちょっと新鮮で、ホントに同窓会のように盛り上がりました。

で、中には現地ではお話しできませんでしたがヤマキを見てくれてた方がチラホラとおられまして、
僕の作業を覚えてくださっていたことが嬉しかったです。その中で、この作業の時のことをお話ししてくれたトムさん。

そして、自治会長さんから作業従事者に当てて書いてくれた感謝のお手紙を
わざわざ僕に届けてくださいまして。。。ちょっと泣きそう。。。

そして、何か新聞の切り抜きと思ったら、僕がこの時、車を撤去したお家のご主人。被災地のご近所さんとの
ふれあいの場を作って絆を深める活動をされたことが記事になってました。

あのときはただ、目の前にある障害を解消するために何も考えずひたすら動いてました。
この車を吊るときも、中から写真も出てきたし、土砂で形は変われど思い出のある車を
さらにクレーンで吊って物のように扱ってしまうことが申し訳なくて辛かったこと。
でもそれで少しでも現地の方の助けになるのであれば、それに自分が役立つのであればと言う
ただそれだけでしたが、後にこのような頼もしい、うれしい知らせを伺いまして、
あのときの自分のやったことが足がかりになってくれたのかなぁ、と思えば
僕も感謝でしかありません。

 

そんなことを思いながら帰ってきました。

 

2015/5/26 22:38:02

山紀建設な日々

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