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ブログ記事|ヨーロッパで皇帝を名乗れるのは2人だけでした
ヨーロッパで皇帝を名乗れるのは2人だけでした
王様より皇帝の方が格が上です。権力者が勝手に皇帝職を名乗ることが出来るので例外は存在しますが、一般的に洋の東西を問わず、王より皇帝が格上とされてきました。
20世紀に清朝が滅ぶまで歴代の中国のトップは王ではなく皇帝でした。
紀元前3世紀に500年以上に及ぶ春秋戦国時代の分裂を終結させて中華統一を果たした人気漫画のキングダムの題材にも登場する秦王の政は、王様の更に上に位置する 皇帝 という位を作り、自ら 始皇帝 を名乗りました。
それ以降の中国の歴代王朝のトップは、皇帝 を名乗り、その後、2000年以上も周辺諸国の王様よりも中国の皇帝は格上だという態度を貫きました。
現在のアラビア半島の国々をみると王様の格について明らかになることがあります。
アラビア半島にあるイエメンは共和国なので別として、オマーンには国王が存在しますが、カタールとアラブ首長国連邦を構成する7つの国の長は、アラビア半島内のサウジアラビア王に経緯を払い(遠慮して)王ではなく、(王より格下の)首長を名乗r、周辺地域で誰が格上なのかを示すことで不要な争いを避けようとしています。
21世紀の現在、ヨーロッパには、既に皇帝は存在しませんが、今でも7人の王様が、オランダ、グレートブリテン・北アイルランド連合王国(通称イギリス)、スウェーデン、スペイン、デンマーク、ノルウェー、ベルギーにいます。
過去の歴史を紐解けば、ヨーロッパには多くの国に国王がいましたが、(一部の例外を除いて)皇帝だけは2名しかいませんでした。
西暦395年にローマ帝国が分裂した時の地図で、領土が現在のヨーロッパ各国の領土を完全には一致していませんが、赤色の地域が西ローマ帝国、青色の地域が東ローマ帝国として分裂して、それぞれの皇帝が統治を行うことになりました。
分裂する前のローマ帝国の国旗には、鷲が描かれていました。
分裂後に100年も経たずに476年に西ローマ帝国は滅亡してしまいますが、東ローマ帝国は1453年まで続きます。
東ローマ帝国の国章ですが、ローマ帝国時代の(頭が一つの普通の)鷲ではなく、双頭の鷲 が描かれています。
西ローマ帝国が滅んだ後、西暦800年にフランク王国(現在のドイツとフランスとイタリア)のカール大帝がローマ教皇より戴冠され、西ローマ帝国が843年まで復活していました。
カール大帝が戴冠された時代のフランク王国の領土です。
その後、フランク王国はドイツ、フランス、イタリアの3地域に分裂し、紆余曲折を経て、962年にドイツ王のオットー1世が戴冠され、初代 神聖ローマ帝国の皇帝 となり、以降、ドイツ王が世襲することになります。
初代オットー1世はイタリア北部も支配していましたが、名前こそ ローマ という都市名が付いていますが、実質はドイツの国でイタリアの国ではありませんでした。
15世紀以降、ハプスブルク家神聖ローマ帝国の帝位を世襲化するため、その本拠地だったウイーン(現在のオーストリア)が首都だったと思われがちですが、ニュールンベルク、アウグスブルク、フランクフルトなど、首都が各地を転々と移り、チェコのプラハ(1346年~1437年、1583年~1611年)だったこともあるそうです。
1611年以降は現在のドイツのバイエルン州の東部にあるレーゲンスブルクが首都に固定されたようです。
現在のレーゲンスブルクは、このような綺麗な景色な街のようです。
明治維新に移行する際に、当時の日本は江戸時代の鎖国政策と幕藩体制により通称イギリスやフランスなどのように中央集権化がされていなかった遅れを取り戻すためにも明治維新が必要だったという話を中学校の歴史の授業でも教わりますが、ヨーロッパでも分裂状況が長く続いて中央集権化が遅れていた国の代表として、イタリアと並んでドイツが挙げられるように、首都が転々と移動してきた歴史からも解る通り、神聖ローマ帝国の皇帝職を名乗っていても、実質は自分のお膝元のドイツ国内も満足に掌握できていなかったのが実情でした。
よって、神聖ローマ皇帝を名乗るドイツ王が、フランスなどの周辺諸国の王に比べて、その力が上位な訳では全くありませんが、西ヨーロッパ世界での唯一の西ローマ帝国の後継者であるため、神聖ローマ帝国の国旗は、東ローマ帝国と同様に、その国旗には 双頭の鷲 が描かれています。
1453年に東ローマ帝国が滅亡すると、最後の東ローマ皇帝の姪と結婚したモスクワ大公国の王子が ロシア皇帝 となります。
ロシア帝国の国章も、双頭の鷲 で、東ローマ帝国の後継者であることを誇示しています。
ロシア以外の東ヨーロッパの各国の支配者は、王は名乗っても皇帝を名乗ってはいません。
ヨーロッパの皇帝は東西に各1名の2人だけという長く続いた伝統を破った人物はナポレオンです。
神聖ローマー帝国を破り、帝国を解体させた上で、ハプスブルグ家の皇帝には、新たにオーストリア皇帝に就くように認めさせた上で、ローマ教皇に圧力を掛けて、フランス皇帝に即位しました。
ロシアには東ローマ皇帝の後継者のロシア皇帝がいて、西ヨーロッパにはオーストリア皇帝とフランス皇帝のナポレオンの2名が存在する 合計で皇帝が3人 いる状況が生じました。
ナポレオンの圧力により、神聖ローマ帝国を解体され、オーストリア帝国にされたものの、その帝国の国章には、双頭の鷲が描かれていて、東ローマ皇帝の後継者を自称しているロシア帝国の国章ととても似ていることが解ります。
1816年にナポレオン1世が完全に失脚した後、彼の甥が再びナポレオン3世(在位1852年~1870年)として即位(フランス第二帝政)し再び、ヨーロッパで皇帝2名の均衡が再び崩れます。
このナポレオン3世を普仏戦争で破り退位させたプロイセン王が1871年にオーストリアを除くドイツ諸国と統一したドイツ帝国を成立させています。
フランスのベルサイユ宮殿の鏡の間で ドイツ皇帝 ウィルヘルム1世 の戴冠式が行われ、再びヨーロッパに3人目の皇帝が誕生します。
このドイツ皇帝は、3人目という部分では、ヨーロッパの伝統を逸していますが、分裂していた約30の王国や候国から構成される国のトップとしてプロイセン王が皇帝として君臨するため、王たちの上にたつ者 という皇帝の定義に即したものです。
紀元前27年にアウグストゥスが初代のローマ帝国の皇帝に即位して以来、ヨーロッパに君臨し続けていた皇帝たちは、20世紀に勃発した 第一次世界大戦 により、ロシア帝国はロシア革命により、オーストリア=ハンガリー帝国とドイツ帝国は敗戦により、帝国は消滅し、歴史の中からヨーロッパの皇帝は全てなくなりました。
ヨーロッパではありませんが、同じく第一次世界大戦ではトルコ帝国も敗戦国となり、皇帝が退位して帝国は滅亡し、1945年に第二次世界大戦に敗れた日本も国名を大日本帝国から日本国に国名を変えています。
こうして世界中から皇帝が消えていく中で、1976年に中央アフリカ共和国のジャン=ベデル・ボカサ大統領が国名を中央アフリカ帝国と改めて自ら皇帝を名乗りましたが、酷い圧政を行い国民を虐げたため、3年後の1979年にクーデターが発生して、帝国は滅びました。
歴史上の最後の皇帝が、このような圧政と宗主国のフランスへの莫大な賄賂を行った人間だというのは、とても残念な歴史の足跡だと感じます。
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伝説のピアニスト 川上敦子さん (全25話)
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/425e60748dfa331bec8b445953003a7a
演奏不可能と言われたリストの超絶技巧練習曲(1837年版)を日本で初演したピアニスト
川上敦子さんのことを掲載したシリーズです。
最終話:2015年3月11日掲載 川上敦子さんから頂戴したお心
2015年11月 特別追加掲載(2話を追加)
掲載日 2015年11月29日 2016年4月28日にカーネギーホールでのリサイタル【特別追加記事002】
祖母の思い出 (全第14話 最終話を掲載)
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/4816511909af978673200140e1fbc228
4人の祖父母の中で唯一、長い交流のあった私が32歳の時に他界した祖母の思い出を記したシリーズとなります。
最終話:2015年6月10日掲載 多くの教えと思い出をありがとう。(シリーズ最終話)
重度の介護が必要だた父の緊急入院から納骨まで (全21話)
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/c203e74471097ecc448cff62eae56542
重度の介護状態で自宅介護を受けていた父が緊急入院して他界してしまった話を記したものです。
最終話:2014年11月29日掲載 認知症でも、まだ手が動かせていた頃の父が描いた絵
愛犬パークの15年の生涯 (全18話)
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最新話:2015年11月30日掲載 母の腕の中で静かに天国へ旅立って逝ったパーク
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2016/6/29 22:00:28