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ブログ記事|最も素晴らしいバイオリン協奏曲を挙げるとすればグラズノフのバイオリン協奏曲

最も素晴らしいバイオリン協奏曲を挙げるとすればグラズノフのバイオリン協奏曲


人気ではメンデルスゾーンやチャイコフスキーの方が遥かに上でしょうが、数々のバイオリン協奏曲の中で主観に基づいて強いて一番の名曲を挙げるとすればグラズノフのコンチェルトです。

グラズノフの次は ‥‥ と言えば、ベルクのバイオリン協奏曲なので、私の場合は世間の人気とは異なるのでしょう。

私より101年前の1865年にグラズノフはロシアで生まれた作曲家で、同じ年にフィンランドではシベリウス、デンマークではニールセンが生まれていて、その少し前の1860年にはマーラーが、1862年にはドビュッシーが、1864年にはリヒャルト・シュトラウスが生まれています。

グラズノフの生まれた3年後の1868年が明治維新ですから、幕末の志士たちの子供世代に当たると思っていただければと思います。

知名度という点では、日本に限らず世界的にも、決して高いとは言い難いですが、数々の名曲を残しています。

思い浮かぶだけでも、交響曲第4番、第5番、第6番、第7番「田園」、第8番、バレエ音楽「四季」など、私が中学生の頃より、何十年も繰り返し聴いている数々の名曲 があります。



子供の頃より、特定の分野に並外れて優秀だった人間の称号 神童 に関して、音楽での神童と言えば、誰もがモーツァルトを挙げますが、グラズノフの逸話を知れば、勝るとも劣らない神童ぶりを発揮していたことがわかるので紹介します。

ロシアの音楽界には、チャイコフスキーとリムスキーコルサコフらのロシア五人組との対立を端に発した二つの派閥、モスクワ音楽院派とペテルブルグ音楽院派に分かれ、チャイコフスキーの後のモスクワ音楽院には、タネーエフ、スクリャービン、ラフマニノフ、ハチャトゥリアン、カバレフスキー、シチェドリンなどの作曲家がいて、グラズノフが出たペテルブルグ音楽院にはミャスコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチなどの作曲家がいます。

グラズノフがまだ少年だった時に9歳上のモスクワ音楽院派のタネーエフがペテルスブルグを訪問して新作の交響曲を自身でピアノで演奏した時、隣部屋に隠れているように指示されていたグラズノフ少年が、たった今、初めて聞いた曲を全く間違いなく同じようにピアノで弾いてみせたという逸話が残っていて、モーツァルト級の神童ぶりです。

卓越した音楽的な記憶力をひけらかすようなことはせず、逆にグラズノフの人間性を示す逸話が残っています。

完成前の1887年にボロディンが逝去してしまったため、彼の代表作のダッタン人の踊りを含む イーゴリ公 はリムスキーコルサコフと22歳の若き作曲家 グラズノフ により完成されたのですが、グラズノフが担当した箇所は作曲された断片など全く残ってなく、ボロディンの作風を忠実に再現すべく、グラズノフが自分で作曲したにも関わらず、そのことを全く口にしなかったと言われています。

グラズノフの卓越した音楽的な記憶力は晩年になっても衰えず、ペテルブルク音楽院の作曲科に入学試験を受けにきた音楽的に才能のない若者が自作のピアノソナタを披露した時に、グラズノフは「私の記憶が間違っていなかったならば、君は数年前にも受験してきて、その時に披露してくれたソナタの第二主題は、なかなか良かった」と言って、数年前に一度だけ聴いたことのある曲を弾いてみせ、その数年前の曲の第二主題も決して素晴らしい作品ではなかったが、そう言って不合格になるであろう若者に気配りをしたという逸話が残っています。

先に挙げたグラズノフに曲を再現されたというモスクワ音楽院出身の作曲家 タネーエフ は、知名度こそ、あまりありませんが、彼の 交響曲第4番 などは、 世に埋もれている隠れた 名曲中の名曲 で、いつか、別の機会に、このBLOGで紹介したい曲です。

また、ペテルブルク音楽院の作曲科を受験して落ちた若者の話は、「ショスタコーヴィチの証言」という書に、ペテルブルク音楽院の作曲科でグラズノフに学んだショスタコーヴィチの師匠であるグラズノフの思い出の話として語られた話です。

「ショスタコーヴィチの証言」という書は、1979年に発売されて30年以上が経過した現在でも、肯定派と否定派の意見の対立が続いており、現段階では、そこに綴られている内容が全て真実だとは断言できない部分がありますが、多くの興味深い内容が記されており、実は1990年の私の大学の卒業論文で、ショスタコーヴィチについて記しているので、この書についても、多く触れています。

既に掲載済の私の卒業論文に関係するBLOG記事は下記のURLとなります。
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/4ab3e0ed0685cb0e59e76a7a5081cb0c

「ショスタコーヴィチの証言」にも記されている内容で、この話は、恐らくは間違いのない真実だと思われますが、コンチェルト(協奏曲)を作曲しようとした時に、グラズノフは、勿論のこと、主要な楽器の特徴は全て理解しているにも関わらず、演奏者としては全くの素人の段階にも関わらず、その楽器を一生懸命に自ら練習して、その練習と平行して作曲を進めていき、バイオリン協奏曲を作曲した時も、バイオリンを習いたての子供のように、一生懸命に弾いて練習していたそうです。

グラズノフ最後の交響曲である第8番が作られた前年の1904年、ちょうど日露戦争が始まった年に バイオリン協奏曲 は作曲されました。

2つの楽章からなる20分強の演奏時間の曲で、本当に素晴らしい曲 だと思います。

YouTubeのURLを載せておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=igqj4lAV6UY

そして、是非、上のYouTubeならば、13分00秒ぐらいからを、聴いてみて下さい。

バイオリンという楽器は、本来、単音を演奏するための楽器です。

1台のバイオリンでは、旋律などの一音ずつしか演奏出来ません。

バイオリンには、弦は4本ありますが、目的の音を出すための弦のみが弓と触れるようにするために、弦4本が平行ではなく、中央の2本が高くなっている山形に4本の弦が配置されています。

つまり、逆に言えば、単音ではなく2つの音を鳴らそうとすると、隣り合った2つの弦を同時に弓で(擦って)弾けば、複数の音を鳴らすことが出来ます。(3つ以上の弦を同時に弾くことは出来ないので、バイオリンが同時に弾ける音は2音が最大です)

同時に音を鳴らすだけでも、バイオリンは4つの弦の音が5度違い(下から ド・ソ・レ・ラ )なので、左指で押さえて音を変えるにしても、可能・不可能の制約があるので、出来ることには限界があります。

いくら達人に演奏をさせようとしても、限界を超えたことは、どんな達人にも演奏できません。

制約の範囲内で、同時に音を鳴らすだけでも大変なのに、13分00秒から カノン が演奏されるのです。

カノンとは、静かな湖畔の森の影から や カエルの歌 などの輪唱のような 旋律の追っかけっこ です。

普通に考えれば、バイオリンという楽器では、こんなことは出来ないと思うのですが、何と、楽器のもつ制約の範囲内で演奏できるようにグラズノフは作曲しているのです!


一段目の Piu sostenuto. と記されている辺りから、楽譜を追いながら曲を聴いていただければ幸いです。

バイオリンを演奏したことのある方ならば、この楽譜のカノンが演奏可能だということを解っていただけると思います。

グラズノフが、バイオリンの練習をして作曲に臨んだ証拠 だと、私は思っています。

卓越した才能に恵まれながらも、そのことに胡座(アグラ)をかくことなく、音楽に向き合うグラズノフを心より尊敬します。




( 続く )




「音楽の素晴らしさ」シリーズの各掲載は下記のURLとなります。
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/7e3b92fd45e0082610ac0f53b1c957c1

また、音楽に関係するシリーズとして、次の2つがあり、併せて読んでいただければ幸いです。

既に連載を完了したシリーズ(全25話)
「伝説のピアニスト (日本で超絶技巧練習曲1837年版を初演したピアニスト 川上敦子 さん)
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/425e60748dfa331bec8b445953003a7a



現在、連載中の上記の続編シリーズ
「世界が実力を認めたピアニスト 川上敦子さん」
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/ab144349ca849a6e6f7e8514a704a86e



--- その他の連載中のシリーズとなります ---


シリーズ「世の中に物申す」
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/5daf02cffe9da5b480f3820aa21dd756
どのような不利益が降りかかったとしても、世の中に発信していかなくては‥‥と
私の心が揺れ動くことを微力ながらも発信しています。




シリーズ「認知症の父の自宅介護」
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/357b83df4b2f1613c2fa5e366d6d96e3
育ててくれた親が病気になれば、介護をするのは人として当たり前のことです。(写真は大昔に父が箱根へ連れていってくれた時の写真です)
そんな父への介護のピークは、どの施設からも(病状が酷く)受け入れを断られ、2002年~2011年までの間に朝5時~夜中の2時まで毎日続けた自宅介護でした。



シリーズ「美味しいもの」の他の記事の一覧は下記のURLとなります。 
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/d50801e93535e5d591d2f926236429cf



シリーズ「心の偏差値」
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/cb3273f5b779ad947160f885015d4e38
頭デッカチ、頭がいくら良くても、本当に大切なのは心の豊かさ、その思いを綴っております。




シリーズ「日本を思う」
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/405be3999114db53c15c40c8f9074e75
私が生まれ育った日本。 この日本を思う心を綴っていきたいと思います。




シリーズ「歴史あれこれ」
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/2e5b20b732b5089016301b0f7c860a53
学校の授業で教わる歴史とは違った切り口で、歴史の話を伝えていければ ‥‥ と思っています。




シリーズ「DIY 自分で作ったり修理したりする」
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/4234d39dbee719b1c82d8ec942361b29
下手ですが、私の趣味のDIY関係を載せていきます。




シリーズ「遠き日の想い出」
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/1fd8827372937ffcaeff5020c130d363
発掘された小学校三年生(1975年)の日記や写真を中心に子供の頃の楽しかった想い出を振り返ります。



一話完結・番外編・その他
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/6fb93531a650944a79df8f17953f0b2f
シリーズものでない一話完結の話を掲載しております。



私がFacebookで掲載している記事をダイジェストで載せています。
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/b3416c4cddea8f8ef7dd0788fcd1aa47



--- フォトチャンネル ---

中之院 軍人墓地(浅野祥雲作 コンクリート軍人像)

http://blog.goo.ne.jp/photo/345518/pn/998a93d920ac6fc629b72a2140f2079d



桐朋高校(2013年2月20日撮影)
http://blog.goo.ne.jp/photo/361077/pn/53a1984a2aab483eebc270ed29581ecd



--- 既に掲載完了済みシリーズ ---



祖母の思い出 (全第14話 最終話を掲載)
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/4816511909af978673200140e1fbc228

4人の祖父母の中で唯一、長い交流のあった私が32歳の時に他界した祖母の思い出を記したシリーズとなります。
最終話:2015年6月10日掲載  多くの教えと思い出をありがとう。(シリーズ最終話)




重度の介護が必要だた父の緊急入院から納骨まで (全21話)
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/c203e74471097ecc448cff62eae56542

重度の介護状態で自宅介護を受けていた父が緊急入院して他界してしまった話を記したものです。
最終話:2014年11月29日掲載  認知症でも、まだ手が動かせていた頃の父が描いた絵





愛犬パークの15年の生涯 (全18話)
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/a8ccdc94c043ada8644af3606c3c34a5

保健所で殺処分されるところを助けられた生命。我が家に様々な想い出を残してくれた愛犬パークの15年の生涯を綴ります。
最新話:2015年11月30日掲載  母の腕の中で静かに天国へ旅立って逝ったパーク





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2016/6/18 0:00:09

誰にも遠慮なく素直な気持ちを記します。

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