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ブログ記事|美味しいユーハイムのバームクーヘンのことを調べると平和の大切さを再認識できます
美味しいユーハイムのバームクーヘンのことを調べると平和の大切さを再認識できます
美味しいバームクーヘンと言えばユーハイム。日本で最初にバームクーヘンを作ったカール・ユーハイムさんの生涯を通じて、様々な平和の大切さが浮き彫りにされてきます。
ドイツ人のカール・ユーハイムさんは、1908年に中国のドイツの租借地の青島市に渡り、美味しいバームクーヘンを作る喫茶店「ユーハイム」を経営していました。
1914年には青島に住むドイツ人のエリーゼさんと結婚しましたが、この年、第一次世界大戦が勃発して、青島は 日英同盟 に基づき参戦した日本軍に攻撃されてしまいました。
戦いは日本軍の圧勝に終わったのですが、何の間違いか 非戦闘員 のカール・ユーハイムさんは、他のドイツ軍の兵士たちと共に捕虜として日本本土に連行されてしまい、お腹に子供を宿していた妻のエリーゼさんと引き離されてしまいました。
青島や南太平洋で捕虜となったドイツ軍兵士5,000人あまりは、日本本土の数箇所の捕虜収容所で過ごしましたが、どの収容所でもドイツ軍捕虜は厚遇され、収容所の近隣の日本人と接する外出許可も出されていたと言われます。
既に戦争は終結していましたが、引き続き(他の捕虜と共に)広島の収容所に収監されていたカール・ユーハイムさんが1919年に作ったバームクーヘンが 日本で最初のバームクーヘン だったと言われます。
この日本で最初のバームクーヘンがお披露目された場所は 広島県物産陳列館 です。
名前を聞いてもピンときませんが、当時の建物の写真をご覧いただければ、ピンと来る方も多いのではないでしょうか?
建物の中央上部のドームが特徴的です。
カール・ユーハイムさんが日本初のバームクーヘンをお披露目した27年後に上空に 原子力爆弾 が投下され、倒壊した建物の一部が残り、現在、原爆ドーム という名前で呼ばれている建物です。
捕虜から解放されたカール・ユーハイムさんはドイツへ戻らず、妻のエリーゼさんと既に産まれていた息子を日本に呼び寄せ、銀座に喫茶店をオープンさせました。
しかし、関東大震災で、その店も崩れ、横浜での出店を経た後、神戸で現在の ユーハイム社 の前身を打ち立てました。
その後の第二次世界大戦(大東亜戦争)では日本とドイツは同盟国なので、ユーハイムさん家族が不利益を被る処遇はされませんでした。
日本で最初にバームクーヘンがユーハイムさんにお披露目された広島に原子爆弾が投下され、街が壊滅してしまった8日後の1945年8月14日の夕方に、病気を患ったカール・ユーハイムさんは58歳の生涯を閉じたそうです。
その死に顔を、とても穏やかな表情だったそうで、その死の約時間後の8月15日の正午に玉音放送が流れ、日本は戦争に敗れ、大東亜戦争は終結しました。
戦後、占領軍(GHQ)の命令により、妻のエリーゼさんは、ドイツ(西ドイツ)に強制送還させられてしまいますが、占領軍の支配が終わった後に再び日本に戻って、ユーハイムの会長を務め、日本の地で生涯を終えたそうです。
ユーハイムの美味しいバームクーヘンを食べる時に、歴史に翻弄されたユーハイムさんご夫婦の生涯と周辺に起こった出来事に思いを馳せて、平和の大切さも同時に噛み締めることが出来ます。
ここに載せたバームクーヘンの歴史はユーハイム社のHPにて確認することが出来ます。
http://www.juchheim.co.jp/company/history/
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2016/6/4 21:00:09