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ブログ記事|父を見つけたパークが高い場所で立ち上った瞬間
父を見つけたパークが高い場所で立ち上った瞬間
2002年は父にとっても病気を支える家族にとっても正念場の厳しい節目の年でした。
空気(呼吸)と食事(栄養摂取)を切り替える能力が著しく低下してしまった父は、誤嚥肺炎 により、この年だけで3回の入退院を繰り返しました。
入院が長引いたために足腰も弱くなってしまい大変だろうからと、経済的に苦しい中で、椅子が回転して座り易い食事用のテーブルと椅子のセットを購入していました。
しかし、父の具合は回復せず、いつになったならば、退院して、この椅子に座れるのかも、全く先が見えなくなってしまってました。
この状態を打開しようと、母が発案しました。
誤嚥肺炎の専門の先生が別の病院にいるので、入院中の父への許可を申請して、その専門の先生に診てもらおうというのです。
しかし、既に父の病状は、芳しくなく、自力での歩行も厳しい状態でした。
簡単には入院中の病院も許可してくれませんでした。
私が車を運転して、母と私で病院に診察に連れていき、診察 終了後に直ちに病院へ戻るという条件 で、診察のための外出を許可してもらいました。
診て頂いたのは、誤嚥肺炎を繰り返す父に 胃瘻手術 を行った場合の、効果とリスクについてでした。
(いずれ、胃瘻手術に関係する話は、しっかりとBLOGにて述べるつもりです。)
診察を終えて父を病院へ戻す時のことです。
私が母に提案しました。
「もう、入院して3ヶ月以上。お父さんが退院できる目処も全く見えていない。最悪の事態も考えられる。最後になるかもしれないから、通り道にある自宅に寄ってから病院へ戻ろうと思う。
病院の許可を取ってないし、我が家は道路から門戸まで30段の階段があるのに、どうするの?
母は、心配しましたが、正直に病院に許可を申請しても、許可がもらえるとは思えませんでしたし、階段は私が父を背負って絶対に安全に運べば何とかなる筈‥‥。
父への育ててもらった感謝を思えば、重いなどとは感じずに運べる筈だ! と言って、母を説得しました。
正直、もう一度、父を背負って30段の階段を登り下りするように言われても、きっと出来ないでしょう。
父への思いが、物凄い力を生み出したとしか、説明がつきません。
自宅に戻った父に、まずは父のために買った新品のテーブルセットの椅子に座ってもらいました。
家の中で飼われている猫のピエスが父を見つけると、普段は殆ど泣かないピエスが、狂ったように声を出して鳴いて、帰宅した父に擦り寄り喜んでいました。
少し遅れて中庭のガーデンテーブルの上にいたパークが父を発見すると、その場で(後ろの)二本足だけで立ち上がり、大きな声で鳴いて、父の帰宅を喜んでいました。
15年の生涯の中で、前方に何の支えもない状態で、二本足だけで立ち上がったパークを見たのは、この時だけでした。
たった15分ほどの(無断の)一時帰宅でしたが、パークやピエスが、これほどまでに、父の帰りを喜んでくれるとは‥‥‥。
その後も、父の具合は、なかなか良くなりませんでしたが、あれほどまでに喜んでくれた動物たちのためにも! という大きな目標が、病気と闘う父にも、家族として支える母と私にも、芽生えたことは、言うまでもありません。
その後、この2002年の11月に、半ば強引な形で、ようやく父は退院を果たすのですが、既に、何処の施設からも全て、受け入れを拒否されてしまう酷い病状になってしまった後のことでした。
結果として、父が、新しく買った椅子に座ることが出来たのは、あの15分ほどの(無断)一時帰宅の時だけで、後は自宅でもベッドか車椅子の生活以外は出来なくなったからです。(車椅子の横に写っているのがテーブルセットです)
今は父の仏壇にある部屋に移して置いてあります。
椅子が回転して座り易いという理由で買った椅子です。
( 続く )
このシリーズの前回の記事 色々な場所へパークと一緒に出掛けました は下記のURLとなります。
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/6a1d6cb7e4b0ae5e9412d5ba80e02855
このシリーズの目次は下記のURLとなります。
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2015/11/27 0:00:10