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災害救援活動(栃木県鹿沼市)

ども、山紀です。

えーっと、現場はですね、大きな大きな個人宅の解体工事をほぼ1ヶ月掛けて終わらせたところです。
非常にやりがいもあり勉強にもなる現場でした。この現場の模様はまた追ってアップしますね。

 

さて、題名の通りですが、解体工事の期間中、この辺りも影響は出ましたが、台風18号による豪雨が関東から東北に掛けて
大きな被害をもたらしニュースでも情報が入ってきていますので皆様もご存じのことかと思います。

 

ヤマキも即準備をし、重機による技術支援チーム「DRT-JAPAN」のメンバー「DRT-MIE」として
9月19日~9月23日まで、栃木県鹿沼市に行ってきました。

 

香川からは萱原さん、広島からは新井さんも合流。3台で夜の高速を飛ばしての大仕事です。

群馬県の上信越自動車道甘楽PAでこの時点で午前7時。僕がどうしても遅いのでなかなか着きません(^_^;)
登りになると高速でも50km/hの時もありますし、リミッターの90km/hで走っていられるのなんてほぼマレですので・・・。

 

 

午前8時30分、ようやく鹿沼市の現場に到着。

クロさんこと日本財団の黒澤氏と落ち合い、各現場に重機を配置します。

ここで新井さんと萱原さんは別のポイントへ。
僕はここで搬出土砂の受け入れをしてました。

 

僕が午後から担当になった現場の1つ。

山滑りにより埋没した水田一帯です。惨憺たる状況です。

 

見える水田もご覧のありさま。
志摩地方はお盆過ぎには稲刈りが終わってますが、栃木県はまさにこれから。

決壊した川の水により完全に倒れています。用水路も埋まってしまったので
排水も出来ず、泥の水に稲穂を垂れた状態。言葉もありません。

 

近くの川の至る所で護岸は決壊しています。橋や山道は通行止めばかりで、現場へ向かう我々も
かなりの遠回りをして現場に向かうことが多かったです。

 

ご存じの方もいらっしゃるかも分かりませんが、僕が担当したこの現場は米軍横田基地の
皆さんの手によって復旧作業が行われました。何もない山に人力で滑走路を付けていくような
屈強な彼らです。重機も使えるし、もちろん人力で土砂の撤去、倒木の運搬、ほぼ人間重機でした。

なんか政治的フィルターでいろいろと騒がれたりしますが、実際の現場に
そういうのは全く関係ないですね。

 

さ、僕はまず埋没した用水路の復旧作業です。
稲刈りのためには水が引けないと大変なので急務とされました。

総延長500m。せっせと振り回します。

 

この現場には群馬の深町くんも助っ人参上。
前日に僕たちの動きを知って参加希望を出してくれました。ありがとうね!!

 

段々片付いてきました。

 

さて、訳あってこの現場は一旦撤収し、翌日は違う現場へと変わりました。
うちの重機とDRTの重機を相積みして出発です。

 

この日は個人宅の災害救援作業です。

 

家の中も家の外も流れてきたままの悲惨な状態。
即刻、撤収作業に取りかかりました。

どのメンバーも重機の技術は卓越してますので、どんどん片付きます。

 

僕も頑張ります。
我らが親方・クロさんもどんどん片付けていきます。

 

クロさんと言えばチェーンソー。チェーンソー作業も多い現場でしたが、
やっぱりクロさんのチェーンソー裁きは圧巻です。僕らもチェーンソーは使いますが、
クロさんのを見ちゃうとママゴトですね。

水没した不動車の移動もヤマキのお家芸です。
日頃から事故車の引き揚げで実績積んでますので。

しかし、やっぱり水没車は別物です。普通、写真の様な吊り方をすると
前下がりになるんですが、室内に水や泥が入っているので、この車は尻下がりに。
そして、軽なのに1tを遙かに超える重量。甘く見るとこちらが怪我しますね。

 

おじいちゃんの大事な軽トラもシートの高さまで泥が入ってました。
でもエンジンも何も回していない、いわば静的に水没しただけなので
キレイに洗って整備すれば直る可能性もあるので、決して雑に扱わず
自動車屋さんに引き渡す段取りです。

 

キナンさんから借りてる高圧洗浄機も大活躍でした。
DRTはあらゆる分野のプロ集団なので、大工さんもいます。
泥にまみれた床板を剥いできれいに洗って干してまた戻すっていう作業もやってました。

 

現場には学生ボランティア組織「Gakuvo」の人たちも合流。
3日間入れ替わりで助けてくれました。代表の挨拶。

 

私たちも一言ずつ言わせていただいて、最後にご主人さまからお言葉を頂戴しました。
被害に遭って辛いはずなのに、終始笑顔で我々と接してくださり、都度ジュースやお菓子の振る舞いなど
暖かいおもてなしをしてくださいました。

2日間の活動でほぼキレイに片付けて我々は撤収でしたが、
帰るときにはご家族総出で溢れんばかりの笑顔で両手を大きく振って
見送ってくださいました。

 

最終日、最初の田んぼの現場へカンバック。
実は先ほどの個人宅の現場でDRTの機械の走行モーターがお亡くなりになりまして、
積み卸しはうちのクレーンで・・・。

何とか埋まっていた道路も水路もご覧の通り姿を現し、
何とか復旧できました。

 

 

 

この現場では、もう一つ新しい試みが。

被害の規模が大きすぎて、また山滑りの上流の状況など足元も悪く人力での確認作業は困難だったため、
香川の萱原さんが仕事で使っているドローンが活躍しました。

 

この時ばかりは男前の萱原さんです。

この位置から半径2kmの飛行能力があり、非常時には自分でこの位置まで帰ってくるそうです。

 

その映像の一部。
山の状態も一目で分かるし、広範囲においての被害状況の確認を1カ所にて即座に出来てしまいます。

これを車や徒歩でやっていたのでは時間も掛かる大変な作業ですが、
今回は本当に助かりました。

 

 

さて、いつも災害救援になると「食べる・寝る・洗う(身体と服)」に困るモノです。
僕の場合はユニックの寝台で寝ますが、ご飯を買いに行くにも車がデカイし、そもそも
被災地で十分な食料が入手できるとも限りません。あったとしても被害に遭われた方優先ですし。
あと、泥にまみれた服と身体も日が経つにつれて精神的にも堪えます。

が、今回は現地の方々の暖かいご配慮により、まずベースキャンプを構えることが出来ました。

そこの一角に寝袋を敷いて寝ていました。

ベースには予定を書かれた黒板。
なぜか、僕の予定、長~いんですけどね。何か、裏まで書いてありそうな勢い・・・(^_^;)

毎日、災害ボランティアセンターで会議が行われ、その日の出来高、翌日の予定などなどを
話し合います。

その間に、コインランドリーで洗濯。。。

帰りに地元のホテルの一般入浴施設でお風呂に入り、ベースへ戻ると21時頃。
それから夕食。

 

夜はその日の作業の事や翌日の事などを話し合い。

 

あとですね、なんと今回は食事付き。
被災地を救援する私たちを救援してくれるメンバーもいるんです。
沢山の食料を送っていただき、それを料理して待っていてくれる。何てありがたい。。。

 

毎朝、ラジオ体操があります。
さわやかな・・・朝です。

 

珈琲も毎日ミルで挽いたドリップ。。。湯呑みですけども、こういう些細なところからエネルギーを頂き
今日も1日被災地のために頑張れる源です。

 

お昼になると、なんと現場に配達までしてくれるという。。。
支援って、こういうリレーによって成り立ってるんですね。

 

 

あと、9月19日に現地入りしましたが、その前日の18日は僕の37歳の誕生日でして、
若手メンバーがささやかながら祝ってくれました。照れくさいのでこんな顔してますが、
心から幸せを感じてます。。。

 

災害復旧も大事なお仕事、仲間を支えるのも大事なお仕事、
現場で不調になった車の修理も僕のお仕事・・・。

 

僕を慕ってくれる若手メンバーの一人、MAYA。
横浜?の大工です。いつも災害の現場では一緒になるナイスなヤツなんです。

この日は都合により先に帰ってしまうとのことで、また次の現場でも
共に活躍しあうことを誓っているところです。若い人たちのこういう姿って
頼もしいですよね。

 

あと、現場で作業してると「三重から来た人」「重機で来た人」って言うことで
いろんな人からお礼を言っていただき、差し入れを頂きました。
もう、運転席の中は溢れんばかりの飲み物です。本当に嬉しいです。ありがとうございました。

 

さてさて、、、

そんなこんなでいよいよ僕も鹿沼とお別れの夕方です。ベースキャンプを振り返ると鹿沼の山と
きれいな夕日でした。

 

そして最後の最後まで僕を支えてくれた逸品。
帰りの車中で食べてね、ってことでお弁当。運転しながら食べやすいので助かります。

っと、味わっていたら・・・

 

出発してから2時間ほどして、高速を走行中に後方から大きな衝撃と音・・・。
左後輪バーストしました。まだタイヤは新しいんですが、現場で何度かスタックしており瓦礫など
で傷ついていたんでしょうか。フェンダーの溶接やステーをブッチ切りひん曲げてます。

これ翌朝改めて見てみた写真。

 

実は救援作業中に既に1本のサイドウォールを傷つけてしまって、帰りの道中には不安が残るので
スペアタイヤと交換したあと、新たに違うタイヤのバーストだったので、もうスペアがない状態。

連休中の夜間。タイヤを新たに填め替えてもらわないと行けないしあまり遠くまでは走れない状態。
もう明日の朝まで待つしかないかな?と諦めながら、いろんな人立ちに電話したりメールして
助けを求めた結果、群馬の大手運送会社に勤めるお友達原田さんから
お知り合いのタイヤ屋さんに連絡して急遽お店を開けてくださいました。

しかも現在地から5分ほどのところ。行くとお店の社長さんが機嫌良く出迎えてくれて
お店にたまたまあった同じサイズ(このトラックのサイズは珍しいんです)のタイヤを
付けてくれました。

 

あと、昔からブログやfacebookでお友達になってくれてる恩田くんも珈琲持って来てくれました。
ここでも仲間のありがたさをヒシヒシと感じます。

 

早々にトラックも走れるようにしていただき、恩田くんに前を走ってもらって次のインターまでランデブー。
恩田くん、まだこの春に高校を卒業したばかりなのに既に25tラフタークレーンを専属で操る
凄い若者なんです。まだ乗り立ての乗用車ですが、おそらく、おもちゃでしょうな(笑)

そういえば、去年の夏に会ったときは自転車やったもんなぁ・・・。

 

 

今日もDRT-JAPANは各地で活躍しています。
クロさん達は茨城県常総市に入り、現地の人を笑顔にしています。

僕は10月10日~12日に常総市入りします。
誓い合ったMAYAも一緒です。

僕も負けずに支援のリレーを絶やさぬ気持ちで頑張ります。

応援よろしくお願いします。

 

 

 

2015/9/30 20:00:03

山紀建設な日々

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