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ブログ記事|知覧特攻平和会館に私が二回行かなくてはならなかった理由
知覧特攻平和会館に私が二回行かなくてはならなかった理由
千機を超える沖縄戦への特攻攻撃の約半数近い402名が知覧の飛行場を飛び立ち尊い生命を亡くしています。
鹿児島県南九州市知覧町にある 知覧特攻平和会館 は特攻隊攻撃で生命を失われた方の数々の遺品や遺書が展示され、平和への願いが込められた場所です。
1945年(昭和20年)の悲しい出撃の地であったことが嘘であって欲しいが如く、春には綺麗な桜が咲く場所です。
私は、これまで2回行きましたが、何故、2回も行ったかというと、1回目、あまりに悲しいショック により、長く留まることが出来ず、早々に立ち去ってしまったからです。
平和記念館内には様々な資料が展示されていますが、私の想像を絶するものだったのです。
知覧へ行く前までの、私の特攻攻撃の知識は次のようなものでした。
大東亜戦争初期は、海軍戦闘機の零戦、陸軍戦闘機の隼が性能的にアメリカ合衆国軍を凌駕していたものの、戦争後半には、高馬力エンジンを搭載した P-51マスタング や グラマンF6 などの登場により、零戦などでは太刀打ち出来なくなり、制空権も奪われてしまっていました。
普通に出撃しても太刀打ちできなくなってしまった戦闘機に、更に 250Kgの爆弾 を抱かせるので、制空権を握られている中で敵の迎撃戦闘機を振り切って軍艦へ突撃する難しさがある、という程度の知識しかありあせんでした。
平和記念館には、出撃記録が個別に記されています。
出撃日、出撃された方の年齢や階級、そして出撃に使われた飛行機の機種などの情報です。
特攻攻撃に使われたのは、零戦や隼などの4~5年前の戦闘機だと私は思っていました、遥かに性能の劣る練習機や旧式機、中には複葉機で出撃されたケースがあまりに多く愕然 としました。
このような旧式機が 250kg もの爆弾を積んで沖縄まで飛行することだけでも、かなりの無理があることがわかりますが、二十にも満たない多くの方が、このような性能の劣る飛行機で出撃していったのです。
※敗戦後、多くの零戦などの戦闘機が占領軍により解体されましたが、これらは本土決戦に備えて温存していた飛行機だったようです。
そして、平和記念館には数多くの出撃前に記された 遺書 が展示されています。
年齢が若く未婚のまま出撃された方が多く、その殆んどは両親に宛てた遺書で、国を思う使命を完遂するために出撃し、先立つことへの親へのお詫び が記されていました。
それらの遺書を5通ほど読んだ時点で、私は あまりにも辛く、それ以上、読み進めることが出来ず に平和記念会館を立ち去ってしまいました。
よって、最初に訪れた時には、持っていたカメラで、写真を1枚たりとも撮ることさえ出来ませんでした。
居た堪れなく、去ってしまった平和記念館。 これでは駄目だ と思い2年後に再び訪問して、50通位の遺書を頑張って読みました。
写真は2回目に訪問した時に撮った 三角兵舎(復元)です。
敵の空襲からカモフラージュするために森の中に半地下の兵舎が建てられ、出撃の数日前より、兵士たちは寝泊りしていたとの解説が記されていました。
平和記念館には、残っている全ての何百通かの遺書が載っている本も売られていて、私も2回目の訪問の時に買いましたが、未だに全てを読めておりません。
言葉には表せない悲しい特攻攻撃。
制空権も奪われ、敵と対等に戦える紫電改などの戦闘機の数も少なかった大東亜戦争終盤期、特攻攻撃しか敵の進撃速度を遅らせる手段がありませんでした。
全話で触れた 「(日本が)原爆を完成させるまで、時間を稼がなくては!」 との思いあり行われたとも言われる特攻攻撃。
そして、前々話で触れた、日本に原爆を運んできた 重巡洋艦 インディアナポリス 、実はこの艦は、特攻攻撃とも深く関わりのある船でなのです。
沖縄戦開始直前の1945年3月、既に制空権・制海権をほぼ握っていたアメリカ合衆国軍は、九州地方の飛行場と呉軍港を空襲するたの機動部隊を派遣し、その艦隊にインディアナポリスも空母護衛の任で参加していました。
その際に本土から飛び立った日本陸軍航空隊の特攻攻撃を受け、その修理のためにアメリカ合衆国本土へ戻っています。
修理を終え、7月に戦線に復帰するために戻る時にインディアナポリスは広島と長崎に投下された原爆を運んでいるのです。
原爆投下と特攻隊攻撃 という大東亜戦争で最も悲しい出来事の2つに関わり、1945年7月30日に日本の潜水艦の魚雷攻撃により沈没したインディアナポリスに、何かの因縁を感じずにはいられません。
関連情報
原爆投下が生んだ重巡洋艦インディアナポリスの悲劇
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/404168a5cbb50e54cea1cbb5321c3564
( 続く )
このシリーズ「唯一の被爆国 日本の戦争について」の前回の記事 日本のマンハッタン計画(日本の原爆開発) は下記のURLになります。
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/7dadf0f550678b6850f2f2df08aedae6
このシリーズ「唯一の被爆国 日本の戦争について」の他の連載記事の一覧は下記のURLになります。
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/fdaa79c8088b9c248a8b233e824576cf
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2015/9/5 21:00:07