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衆愚政治と思うなら日本や地域が『変わる』ための行動が大事!

衆愚政治になるのは民主主義だから、悪い政治家を見抜けないから、政治を知らないから…と、いろいろな意見がありますが、なぜ『 民主主義が理由なら変えれば? 』という人がいないのか…日本の不思議なところです。

衆愚政治と思うなら日本や地域が『変わる』ための行動が大事!

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みなさんは、問題を解決するときに“ そもそも論 ”を考えてみたことがありますか?
そもそも論
物事を原初に立ち返って論じること、さかのぼって必要性や存在意義などを問うこと、などを意味する表現。「どのようにするか」を議論しているときに「そもそも、どうしてそれが必要か」という問いを蒸し返すようなあり方。

このそもそも論ですが、議論が進行すると、あまりいいものとしては受け取られません。
しかし、考えなくては議論が違う方向へといってしまうため、
自分の中では常に持っておかなくてはならない考えでもあります。

たとえば、『どうして人を殺してはいけないの?』を、そもそも論で考えると…
人間が滅びてしまう(人間が生きていけなくなる)からです。
ほかにも人間が正しいと思っていること(法律・道理・倫理など)は、最後はそこにだとりつきます。

『どうして勉強が必要なの?』という疑問も同じです。勉強とは学問や技芸を学び経験を積むことですが、
これにはコミュニケーションも大事で、人と勉強する中で倫理感なども養いながら成長していきます。
つまり、勉強とは人類の英知を高めつつ、間違ったこと(犯罪など)に使わないようにするためのものです。

人類の英知を間違ったことに使うと、人間が滅びてしまう(人間が生きていけなくなる)ことになります。
このように『どうして勉強が必要なの?』という疑問も、最後はここにたどり着いてしまいます。

このそもそも論を知っておくと、物事を俯瞰的にみることができるようになるので、
“人間が滅びてしまう(人間が生きていけなくなる)から”という誰にでもわかりやすい理由で、
“やってはいけないことと、やらないといけないこと”の分別ができるようになります。

これをふまえて、衆愚政治になるのは民主主義だから、
悪い政治家を見抜けないから、政治を知らないから…と、
いろいろな意見が散見される“ 衆愚政治とは何か? ”についてみていきたいと思います。


衆愚政治とは


衆愚政治については下記のような説明がありますので、ここから考えていきましょう。
衆愚政治
衆愚政治(しゅうぐせいじ、Ochlocracy 、あるいはmobocracy 、mob rule )とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。暴民政治とも呼ばれる。

概要
有権者の大半が知的訓練を仮に受けていても適切なリーダーシップが欠けていたり、判断力が乏しい人間に参政権が与えられている状況。その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな政策が実行される状況をさす。
また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。エゴイズムは自己の積極的利益の追及とは限らず、恐怖からの逃避、困難や不快さの回避や意図的な無視、他人まかせの機会主義、課題の先延ばしなどを含む。
判断力の乏しい民が意思決定に参加することで、議論が停滞したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、誤った政策執行に至る場合などをさす。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁・血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況をさす。また場の空気を忖度することで構成員の誰もが望んでいないことや、誰もが不可能だと考えていることを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。
大衆論の見地によれば、大衆を構成する個々の人格の高潔さや知性にも関わらず総体としての大衆は群集性(衆愚性)を示現する可能性がある。衆議を尽くすことでしばしば最悪のタイミングで最悪の選択を合意することがあり、リーダーシップ論や意思決定における「合意」の難しさは重要な論点となる。近代民主主義制度においては意思形成(人民公会)と意思決定(執政権)を分離することでこの問題を回避しようとするが、独裁と民主的統制の均衡において十分に機能しないことがある。

このように衆愚政治の概要を読むと、
愚かな政策が実行され続けていけば、エゴイズムが広がり、
いつか人間が滅びてしまう(人間が生きていけなくなる)社会になってしまうことがわかります。

衆愚政治を続けていくことは、大変危険なことであり“ やってはいけないこと ”とわかりますが、
衆愚政治になるのは民主主義だから、悪い政治家を見抜けないから、政治を知らないから…など。
衆愚政治に対するみんなの意見が間違っていないこともわかります。

それなら“ やらないといけないこと ”がでてきますよね…衆愚政治を改善する方法が必要です。


衆愚政治は民主主義が理由なら変えれば?


民主主義だから衆愚政治になるんだ!と、考える人もいると思いますが、
民主主義とはなんでしょうか?民主主義で私たちの生活を治めている地方自治とは何でしょうか?
よくわからない人は、下記をお読みください。
→ 民主主義とは   → 地方自治

自分たちで望む社会に変えていけるのが民主主義のいいところです。
悪い政治家を見抜けないから =判断力が乏しい人間に参政権が与えられている状況”を
民主主義の力で変えていけば、衆愚政治は改善されます。

たとえば クリーンな政治 を思い浮かべると、“悪い政治家=汚職・不正などをする政治家”と考えられます。
それなら、投票する人がわかるところ(選挙ポスターなど)に汚職・不正の回数を明示すれば事足ります。
反発が起きるのなら、『汚職・不正は絶対にしないんですよね?』で、真意も伝わるはずです。

投票する人がわかるところ(選挙ポスターなど)に汚職・不正の回数を明示すれば、
候補者はしないように心がけるため、汚職や不正が減少するだけでなく、
投票する人にも悪い政治家がわかるようになります。

このように、衆愚政治になってしまう原因を民主主義の力で変えていけば、改善することができます。


エゴイズムを追求して意思決定する政治状況も民主主義が理由なら変えれば?


エゴイズム を追求して意思決定する政治状況を考えると、公務員批判が思い浮かびます。
その中でも 地方公務員の給与問題 がよく公務員と国民(市民)の間で起きますが、
この状況も公務員がエゴイズムを追求しているので、衆愚政治にあることを教えてくれています。

地方公務員の給与が市民の所得と大きくかい離していれば、
国民(市民)の各々が持つ善意によって、『違うだろ!』、『それはおかしい!』と、拒絶反応が起きます。
公務員がエゴイズムを追求し、国民(市民)が善意をふりかざすのは、ネットでもよくみられる光景です。

この状況を改善するには、地域(市民)の所得と地方公務員の給与を合わせることです。
公務員給与の見直し(市民の所得に合わせる)を実行する市長を当選させることも必要ですが、
市民の月収が10万円なら、その地域の地方公務員も10万円にすれば、エゴイズムが競争力に変わります。

地方公務員も地域や産業を活性化して市民の所得を上げようと努力するため、
市民と地方公務員が一丸となって地方自治をおこなえるようになるばかりではなく、
公務員の 優秀な能力 まで国民(市民)が享受できるようになります。

地方公務員は下記のような法律に基づき職務を遂行するわけですが、
“市民と地方公務員が一丸となって地方自治をおこなえるようになる”ことで、現状を改善し、
この法律と地方公務員の仕事が国民(市民)のために機能していることがにわかるようになります。
第六節 服務 (服務の根本基準)
第三十条   すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。

このように、民主主義では、公務員のエゴイズムまで国民(市民)の善意で変えることができます。
ここに書いてあることが、机上の空論だとか、嘘だとか思った人は下記の記事をお読みください。
→ 地方公務員・行政改革…住民による地方自治はもう始まっている

これで取り組んでいる市町村があることがわかりましたよね。
書いてあることは本当なんですよ。
このほかにも記事になっていない現実はたくさんあると思います。


まとめ


衆愚政治になるのは民主主義だからという理由が成り立つのなら、
民主主義によって、衆愚政治を改善していくこともできるはずです。
そのためには、衆愚政治と思うなら日本や地域が『変わる』ための行動が大事!という話でした。

“自分たちの力で社会をつくっていこう!”というのが、民主主義ですから、
政治に参加している人たち次第で衆愚政治にもなりますが、改善していくこともできます。
政治を知らないのなら、下記のようなサイトをみて世の中の人の気持ちを感じることです。
→ みんなの政治

そして、政治に参加して、住んでいる地域のこと(地方自治)を考えてみてください。
自分の考えや人や自分の心の中にある善意やエゴイズムまで知ることができるようになります。
民主主義というのは、言い換えれば、“たさくんの人の心”を映しこむ自分の考えをしっかりと持つことです。

公務員のエゴイズムがでてきましたが、どう思いましたか?
地域や産業を活性化して市民の所得を上げようと努力する姿は、
全体の奉仕者として、国民(市民)の目にうつらないでしょうか?

それを実現できる市長が誕生したとき、民主主義が実現し、
市民の善意によって変わっていく地域が誕生するのではないでしょうか。
私たちが人のためにできることのひとつが政治への参加であり、よりよい未来をつくるために大事だと思います。

現在、地域に元気がない…など、活性化が進んでいないことを聞きますが、
政治に参加して、地域に住む人たちが力を合わせることが大事なのではないでしょうか。
その力によってつくり、残していくものが、子供たちへの贈り物でもあるわけですから。

社会に対する“自分の考え”とはわかっているようで、じつはわからないものだったりします。
自分の考えを持ちたい人は下記の記事を読んで考えてみてください。
→ 東京一極集中是正・地域と地場産業の活性化による出生率向上が鍵
2015/4/17 6:55:55

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