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ブログ記事|これ以上市民を殺させない 畠田知事の出した避難命令

これ以上市民を殺させない 畠田知事の出した避難命令


敗戦を迎えた1945年8月15日 新潟市には殆ど人はいませんでした。(写真は一昨年に私が撮った新潟駅です)

これ以上、大量虐殺破壊兵器の原爆で、市民を殺されたくない!

8月6日の広島に続き、9日には長崎にも原爆が投下されましたが、広島と長崎に共通していたのは、空襲による大規模被害を免れていた街 だったということでした。

次は新潟が狙われる! と判断した新潟県の畠田昌福知事は、長崎に原爆が投下された翌日の10日に、新潟市街地からの 緊急 且つ 徹底的な避難命令 を発しました。

この命令は、東京の政府の許可を得ずに、知事の緊急判断で発せられたと言われています。

避難のための運搬手段などが不足する厳しい戦争末期の状況の中 たった3日 で敗戦前々日の8月13日には、新潟市街地には、ほぼ誰もいない 徹底的な避難が完了 しました。

もしも、(もう1発残っていたと言われる)原爆が新潟に投下されたとしても、人的被害だけはゼロ に等しかっただろうと言われています。

当時のトルーマン大統領の意思は二転三転していたようですが、東京(空襲の対象除外地域だった皇居周辺)、京都、小倉にも、新潟同様に原爆を投下される危険がありましたが、他の都市では一般市民の避難(疎開)は全く行われませんでした。

畠田知事の英断は、戦争に限らず、今後の緊急事態発生時の市民の生命を守るために 政治家トップが何を行動すべきかを示す ものだと言えます。

戦後、畠田知事が大政翼賛会で精力的な活動をしていたという理由で、全ての公職から追放されてしまったこともあり、戦争末期に行われた、現代でも見習うべき素晴らしい話 を多くの日本人が知りません。


(  続く  )


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2015/8/10 21:46:45

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