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ブログ記事|進撃の巨人が寸劇の日本のように思えてくるのはなぜか
進撃の巨人が寸劇の日本のように思えてくるのはなぜか
進撃の巨人とは
進撃の巨人を知らない人もいるだろう。新劇の巨人のあらすじやストーリーについて引用するので、ネタバレになってしまうかもしれないがリンク先を参照していただきたい。
『進撃の巨人』(しんげきのきょじん、Attack on
Titan)は、諫山創による日本の漫画作品。小説・テレビアニメ・映画などのメディアミックス展開が行われている。『別冊少年マガジン』(講談社)2009年10月号(創刊号)から連載中であり、『週刊少年マガジン』(講談社)にも出張読み切りとして特別編が2度掲載されている。
単行本の発行部数は、2014年8月現在累計4000万部を突破している。
圧倒的な力を持つ巨人とそれに抗う人間たちの戦いを描いたファンタジーバトル漫画。2009年9月9日に講談社の少年マガジン編集部から発行が開始された『別冊少年マガジン』10月号(創刊号)で連載を開始。新人作家の初連載作品であるにもかかわらず2011年には第35回講談社漫画賞の少年部門を受賞するなど、各方面から高い評価を受けた。
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進撃の巨人は、人類と巨人の戦いを描いた作品なわけだか、現在の日本も同じことが起きている。
寸劇の日本
これまで日本人の多くは、政治家が決めたことに右にならえでやってきた。かつての日本は1960年代に 安保闘争 や 日本の学生運動 と、デモが盛んなころもあった。近年では原発デモが記憶に新しいが、日本VS国民の大きなデモは少なかった。
現在、日本では 安保法案デモ が起きている。日本人が自ら立ち上がっておこなうデモ活動としては久しぶりのことではないだろうか。これまでよく目にしてきた、一部の公務員がおこなう組合活動と称したデモとは明らかに異なる。
安保法案デモの特徴は、日本人が「命」の危機感を抱いていることにある。政治家が決めたことに右にならえでやってきた日本の国民に人間の命を賭けた戦争をイメージさせたことで、寸劇の日本が幕を開けた。
大変なのはこれからだ。日本人同士が政治を挟んでいがみ合い、本当の敵を見抜けるのだろうか。
信じていた壁は壊された
悪い政治家が当選しないように、見抜き方などを書いている記事もある。選挙に参加して、日本を変えようという動きもある。しかし投票しても変わらない現実をつきつけられた国民は「ほかにいい方法はないのだろうか」と考えた。
政治家の試験を言い出す人間もあらわれたが、すでに多くの国民は無力さを痛感させられている。今では人間が自らが信じて疑わなかった日本を変えるはずの選挙が、巨人から身を守るための壁のように思えてくる。
選挙は本当に信じられるものだったのだろうか…これまで、続いてきたことだから…混乱が起きなかった時代に安心してしまったのではないだろうか。壁が壊されて無力さを知った時、人間は戦うことで生き残ることに挑んでいく。
国民は悪い政治家の駆逐を開始してはいないが、取り返しのつかないことになってしまうのではないだろうか。
わからない生き物との戦い
巨人の生態がわからないように、政治家の活動も国民にはわかっていない。とくに地方議員(市町村や都道府県の議員)においては住民の生活と密接した関係にある。
しかし、同じ地域に住んでいても、何をしているかわからないのが、多くの国民の実情だと思う。国民は、何をしているかわからない生き物に希望を託していいのだろうか。
日本人は、“ 政治家=偉い人 ”とすり込まれてきたのか、なぜか雲の上の人のように思っている国民もいる。これは奴隷的な思考であり、支配されるのと同じだ。政治家に右にならえで生活してきた理由のような気もする。
国民は投票で政治が変わらないことを知り、悪質な政治家を見抜けないことも知った。捕獲するために警察やマスコミを動かしたが、辞職や永遠に口を閉ざすことでうやむやにされてきた。
政治家も巨人のように「何か」はっきりとはわかっていない生き物だ。それでも国民は血税を無駄にしないために戦うしかない。
心臓を捧げていることを知る
世の中の仕組みを知り見抜く力を鍛える と、なぜか巨人と政治家が重なってしまう。奇形種は、世間に悪い印象を与えてしまった政治家を彷彿とさせる。あの怪しい動きは、政治家の不祥事や失言そのものだ。人間に予測することは難しい。
まるで政治家が人間の敵のような表現になってしまったが、政治家全員が敵と言っているわけではないので誤解しないでいただきたい。悪いのは金を貪るだけの政治家だ。人間が利用できる巨人もいたように政治家も利用しないと敵になる。
人間にとってお金は生活を支える貴重なものだ。増税によって国民を無防備にし、お金を奪うのは、奇形種が人間を捕食しているのと何ら変わりない、税金は命を削られるていることにほかならないからだ。
慈悲を求めても、懇願しても、救いを求めても、貪るだけの奇形種には届かない。国民は逃れられない血税を通じて、お互いに心臓を捧げているのに、むざむざと奇形種を侵入させている。
国民は、ともに力を合わせて戦っていることに気付いているだろうか。
国民に残された手段
これまでも散々、国民は騙されてきた。選挙では投票したい政治家もいなくなった。それでも国民は働き、命を削りながら、血税を搾り取られているからには、安寧を求めなければならない。
学歴で人間性をはかることはできない。悪事を働く政治家、納得できない答弁を繰り返す政治家、不祥事を起こす政治家、学歴だけが素晴らしい政治家は多くても国民は政治不信に陥いる。
信じていた壁はすでに壊された。国民は自分たちで育てた政治家を地域から国に送り出し、また地域を守らせるために配置しなければ戦うことができない。貪りにやってくる奇形種を侵入させるだけだ。
不祥事を起こす政治家が奇形種にみえるのは 動物的 な印象を与えるからではないだろうか。国民は奇形種に貪られた結果、希望の光を自らの手で灯さなければいけなくなっている。
安寧を求めるのなら自分たちの手で政治家を育てることが、国民に残された手段だと気付かないといけない。
まとめ
他人からお金を盗まれると怒るが、血税で好き放題に搾取されても怒らない。警察やマスコミが動かないと、搾取されていることに気付かないのは、まるで壁の中が安全だと疑わない人間と同じではないだろうか。
国民が安寧を求めるなら、国民が利用できる政治家を育て、戦わせることに注力しなければいけない。政治家を査定する試験を導入しても、対策を練られたら無意味なものとなり、さらなる政治不信を招くことになる。
これまでも散々、国民は騙されてきた。裏切られてきた。それでも信じてきた結果、奇形種のような政治家が現れ始めた。何をするかわからない。人間の気持ちも声も届かない…ただ、ただ血税を貪りつづける現実を見せつけられただけだ。
この先、国民は、政治とどのように向き合っていくのだろうか。国民が利用できる政治家を育てられるのだろうか。血税を貪る政治家と戦わせることはできるのだろうか。国民が政治を信頼し安寧を得られる日はくるのだろうか…
人間と巨人との戦いを描いた進撃の巨人が、国民と政治家との戦いに思えてしまうのは、危機感を抱かせた作品だったからと感想を述べたい。漫画の世界と現実を重ねることで、私たちの身の回りで生活を脅かしているものを見つめなおす機会をもらった作品だった。
偶然にも奇形種の巨人をみたときに不祥事を起こした政治家の姿がよぎり、このような話になってしまったが、知っている人は何かを考えさせられた作品だったのではないかと思う。
2015/8/20 6:55:55